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だから、言わんこっちゃない ~EEIE Editor's VOICE~

09.08.12

この夏、始めた畑作りを通して考えた、今の自分自身の暮らしのカタチ。

暑中お見舞い申し上げます。EEIE エディターズ1号です。

今年は6月にはあまり雨が降らずに、空梅雨のまま梅雨明けして夏に突入かな?と思っていたところに、7月下旬の各地での豪雨や竜巻の発生であちこちで被害も多々発生して、と異常気象も極まれり、な夏の始まりでしたが、ここにきてようやく夏本番、といった感じですね。

皆さんは何か、夏の計画はありますか?
私たちはこの夏、畑作りを始めました!
元はといえば、このEEIEのVOICEの連載企画「grafが近畿2府4件を旅して考える、きれいなくらし」で取材にお伺いした川西市の花材の卸会社、(株)花宇の西畠清順さんとの出会いがきっかけで、その後、清順さんとお話ししている時に、清順さんの会社で輸入した植物を生育・栽培するのに、「川西や能勢、茨木の山奥に土地を幾つも借りているけど、 社員の数も限られていて、なかなか手入れに手が回らずにほったらかしにしている土地が幾つもある」というお話しをお聞きして、「それじゃあ、空いている土地をお借りして、畑を作らせてもえらえないですか?」とお願いしてみたところ、二つ返事で「いいですよ!」と言ってもらえたのが始まり。

ちょうど良いタイミングで、我が社の月刊誌『ミーツ・リージョナル』の9月1日発売号で「お米と野菜」の特集を予定していて、それをきっかけに畑を始めて、誌面で毎号、連載しよう!ということになり、早速、日曜日に清順さんの案内で候補地を幾つか車で廻って、土地選び。
まずは兵庫県の猪名川町の山奥にある手頃な大きさの土地に決めて、7月の下旬に鍬と長靴を持って畑作りに向かいました。

その「ミーツ畑」については、詳しくは9月1日発売の『ミーツ・リージョナル』10月号をご覧頂くとして...。

初夏の日差しの中、汗まみれになって鍬や耕耘機で畑を耕して、へとへとになって、でも一日の農作業を終えた時の充実感、これがたまらないんですよ!

普段の街中での暮らしではなかなか味わうことができない充実した気持ち、いやぁ文字通りの「これが多幸感ってやつかぁ!」と何とも言えない満たされた気持ちになります。

それにしても、「お百姓さんは偉いなぁ」と実感。
土を耕して腐葉土や牛糞を撒いて土を作って、畝を作って、種から苗を育てて、日々、草むしりや水やりや手間暇掛けて世話をして、大切に育てて、そしてやっと収穫...。
何だか、子育てにも似ていて、これこそ本当の意味でのクリエイティブな営みだと改めて思います。

そういえば「お百姓さん」というのは元々は、農作業だけじゃなく、多様な生業に従事する人々のことを指し、家や身の回りのモノまで自らの手で作ったり、直したりしていた人々であり、近頃の広告マーケティング的な肩書きで言えば「マルチ・クリエイター」といったところか。
(しかし、こういうカタカナの肩書きって、どうしてこうもうさんくさく感じるんでしょう...!?)

話は翻って、田舎は打破すべき旧態たる保守社会で、都市を洗練の証とした高度経済成長期以降の日本では、「百姓」というのは差別的な呼称と捉えられて、テレビ番組や新聞なんかでも「農民」と言い換えたりするようになったが、それって単なる言葉狩りでしかなく、そんな呼称が問題なのではなく、近代以降のこの国の表層に瀰漫した、農業を始め、物作りに従事する人々、ひいては物作りに対する目線自体が問題なのではないか?

そういう私も普段は、都会の街の真ん中で、一時的な物作りとは遠く離れた"情報"をやりとりして、日々の生活の生業にしているわけで...。
この夏、全くの初心者として始めた畑作りを通して、今一度、現在の自分自身の立ち位置や暮らしを見つめ直すきっかけにもなりそうです。

自分自身の立ち位置を今一度、見つめ直すということで、社会のとば口で悩んでいた時に、渡世の足場を築くきっかけを与えてくれた作品をLook Back Again。

a)『沖縄島唄の伝説~海・恋・戦~ 嘉手苅林昌全集』
 (CD8枚組、2000年発売、ビクターエンタテインメント)

b)雑誌『エスクァイア日本版』1989年8月号「特集・南島音楽紀行」

c)『無頼の墓碑銘 せめて自らにだけは、恥なく瞑りたい』
 (1991年発売、ベストセラーズ)

竹中労さん(1991年5月没)というジャーナリストをご存じですか?
「日本最初のルポライター」と言われ、山谷解放闘争を支援したり、「世界革命」を志してキューバや中東を訪問したり、琉球独立党を支援して、度々、琉球を訪れたり...。生涯、無頼にして民に寄り添った反骨のロマンティストでありアナーキスト。『日本映画縦断』 や『ザ・ビートルズ レポート』『美空ひばり』などの名著を残し、晩年は肝臓癌を煩い死を宣告されながらも、TVの討論番組で激論を交わしたり、'80年代後半にバンドブームを生み出した「いかすバンド天国(いか天)」の審査員を務めたりもした。

その竹中労さんが癌に冒された身体に鞭を打ちながら、絶命するまでこだわり思い入れ続けたのが、琉球の島歌の世界。THE BOOMの『島唄』や『涙そうそう』がヒットし、BIGINがビッグネームとなった今では想像も付かないかもしれないが、琉球の人々の暮らしの中に密に息づいて伝承されてきた琉球の島唄は、録音されたりレコードとしてリリースされることもなく、島唄の歌い手たちが高齢となり継承者がいない中、その伝承が危ぶまれていた。嘉手苅林昌さん(1999年10月没)は、「島唄の神様」「美ら弾き名人」と讃えられた歌い手で、竹中労さんは自費で嘉手苅さんのライブを東京で開催したり、レコードのリリースに奔走したりして、その普及に尽力した。嘉手苅さんは二度と同じ演奏をしなかったと言われ、その空気に浸みて溶ける、飄々とした中に不思議な軽さやさしさを纏った歌は人間の情の機微を織りなした唯一無二のもので、このCD8枚組の大作には、そんな嘉手苅さんの魅力が詰まっている。また、竹中労さんによる155ページに及ぶ付属のブックレットには、死を賭してまで追い続けた「見果てぬ夢」である琉球の島唄への想いがこれでもかと綴られていて、こちらも必読。

その竹中労さんは、雑誌『エスクァイア日本版』1989年8月号で「南島音楽紀行」の特集を企画、死を宣告された身体を押しての取材中に倒れて入院、その2年後に帰らぬ人となった。私事ですが、今の雑誌の仕事に本格的に身を沈めるようになったのも、20年前にこの特集に出会ったことがきっかけでした。

『無頼の墓碑銘 せめて自らにだけは、恥なく瞑りたい』は、そんな竹中労さんの没後に出版された遺作とも呼べる著書。肝臓癌で死を宣告されて3年、癌と戯れながら、桃源を求めて有為転変のうつし身を生きつつ、せめて炎の中で瞑りたいと、最後まで見果てぬ夢を追い続けた、反骨の無頼漢の遺言。没後18年を経た今、読み返しても、その夢を追い続ける凄まじいまでの生き様に胸が熱くなる一冊です。

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エルマガジン社/EEIE エディターズ 「快適できれいなくらし」の姿を追い求め、日々、取材や編集に明け暮れるエルマガジン社EEIEエディターチーム。三者三様なパーソナリティを全開に、仕事漬けの毎日で、自らの家庭での暮らしは「快適できれい」とは正反対のところが悩みの種…。
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