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grafが近畿2府4県を旅して考えるきれいなくらし

10.11.17

Chapter.1 淡路島にくらしながら創作する、2人の若手陶芸家。

晴天に恵まれた10月某日。今回は訪問先が盛り沢山なので、8時に中之島のgrafに集合。一路、淡路島に向かいます。明石海峡大橋を渡ったところにある淡路サービスエリアで、前々回の播磨の取材でナビゲーターをお願いした池島耕さんと合流です。池島さんはかつて淡路で農地を借りていたことがあるそうで、今回のメンバーの中でも最も淡路に馴染みがあり、今回の取材で訪問した作家さんともすでに面識があるそうです。

池島さん「おはようございます。今日は参加させてもらってありがとうございます。良い天気になって良かったですね」

「おはようございます。先日はお世話になりました。今日もよろしくお願いします」 「この企画は取材させて頂いた方も一緒に参加して頂いてまして。だるま式に増えていく、みたいな(笑)」

まずは南あわじ市にある、陶芸家の前田幸一さんの[鶴来窯]へ。前田さんは、安土桃山時代に茶道の道具としてわずか20数年だけ造られていたという"古伊賀"の作陶理念にこだわり、登り窯で作陶しています。大学時代に学部長だった杉原教授に出会って、その生き方に感銘を受けて、共同研究を始めて、現在の作陶方法を追求するきっかけとなったそうです。現在は実家の農業を手伝いながらの半農半陶のくらしです。

「前田さん、お久しぶりです。ちょっと道に迷ってしまって、遅れて申し訳ありません」

前田さん「おはようございます。すごい大人数でびっくりしました。じゃあまず登り窯をご覧になりますか?」

駐車場から畑の中を少し歩くとプレハブ小屋があり、その中には巨大な登り窯が。一番上の窯は天井スレスレまであり、窯の両側には大量の薪が積み上げられています。年に1回だけ、冬に行われる窯焚きは、大量の薪を使って丸4日間焼き続けます。なんと使われる薪の量は多い時で約15トン! 家が数軒建つほどの薪の量だそうです。最初の2日でまず1200℃近くまで胴木(一番手前の部屋)の温度を上げてから、その後は各々の間(部屋)を10〜15分おきに両側から薪を入れ続けて、1部屋ずつ焼いていくのが前田さんのやり方。最初の2日間は、一番手前の部屋(胴木)が1200℃以上になると、中の空気が発火点に達しますが、酸欠状態になります。窯の各部屋の間仕切りの壁には小さい穴(さま穴)があり、炎はその穴を通って登って行き、噴き出し(煙突のようなもの)から炎が外に出て酸素に触れた瞬間に一気に発火して炎が出始めます。その後、間焚きに移ると薪を投入する度に、炎が噴き出すようになります。最後には天井を越えて、炎が噴き出します。

前田さん「この窯は先生と一緒に作ったもので、僕がやっている"古伊賀"は、釉薬を全く使わずに、最終的に1400℃ぐらいまで温度を上げて焼き上げる方法をとっています。焼きものの中でも1400℃というのは世界で最も高い陶器の焼成温度です」

  • 前田さんの[鶴来窯]のあるプレハブ小屋。
  • 登り窯の横で熱心に説明してくれた前田幸一さん。創作への熱い情熱を胸に秘めた陶芸家さんです。

「今の伊賀焼とはまた違うんですか?」

前田さん「今の伊賀焼は食器や土鍋など、日常の道具で有名ですが、先生が注目したのは安土桃山時代にわずか24年間ほどしか作られていなかった最高峰の茶道具。室町時代に武士が茶道を始めるようになり、千利休が茶道を1つの文化として体系付けました。そして信長や秀吉が茶会を祭事に取り入れるようになりました。当初の茶道具は中国などの舶来品が中心でしたが、国産でわざわざ窯元に造らせるようになり、量産ではなく1点ものの最高級品として作り始めたのが、伊賀上野藩藩主の筒井定次や後の藤堂高虎で知られる"古伊賀"だったんです。しかし江戸時代になると茶道は商人など民衆に広がり、道具も絵付けなど華やかなものが好まれるようになったので、"古伊賀"は徐々に造られないようになりました」

「なるほど。時間もコストも無視した、まさに究極の焼きものですね」

前田さん「当時はそうだったんでしょうね。なんせ茶会が失敗したら切腹する人もいたほどでしたから。茶道具を作る人も命がけ!」

「すごい! "古伊賀"のことは初めて聞きましたが、歴史を知るとまた違った見方になりますね」

  • 天井スレスレまで、6段の窯が積み上がった登り窯。前田さんが師匠の先生と造り上げた窯です。
  • ボードには今年2月の釜焚きの時のスケジュールが。40時間、32時間と長時間炊き続けることが分かります。

前田さん「中には、伊賀の七度焼といって何回も焼くものもあるんですが、数回焼き抜くためには薪を準備するのも大変だし、土を作るのにも何年も寝かさないといけないし、今の時代ではほぼ不可能に近い。職人はまずやらないし、きっと研究として貫いてやろうという人でないと、この分野には参入できないでしょう。実践している人も全国で数えるくらいしかいません。私の尊敬する先生はもう亡くなってしまいましたが、『この焼き方はそのうち無くなるだろうから、若い人に引き継ぎたい』って、僕と一緒に研究をやっていたんです」

「それは続けないといけないですね」
「窯焚きが年に1回ってことは、冬に1年分が焼き上がるってことですよね?」

前田さん「そうです。でも温度が高いので、皆さんがよくやるように重ねて焼けないんです。しかもヘタすると自然灰が流れすぎて地面に溶けてくっついちゃうんで、これだけ大きい窯でも1回で作品は50〜60個しか焼けないんです。それに大量に薪を使うので、コストの面でも年に1回しか無理ですね」

「薪って買ってるんですか?」

前田さん「薪屋がないので、古い家を解体したときに梁などをもらってきたり。普通は薪屋さんから買うんですが、高いんですよ。ガスや電気窯に比べると燃料費だけで数十倍だと思います。焼けば焼くほど赤字...。僕の場合、農家もやっているし、多くの方が協力してくれるので続けていける。ありがたいです」

「そしたらこれらの薪、全部自分で割ってるんですか??」

前田さん「最近まで自分で割っていたんですが、肩がいかれてしまって、今は機械も使っています。先生の教えが『手で木を割ってみて初めて木のことが分かる』でした。でも自分で割っていると、この感じの木の質やこの部分はこれ位のカロリーが出て、こういう色が出せるってだんだん分かってくるんです。斧を持ってもらうと分かりますが、ものすごく重いですよ。ちょっと割ってみますか?」

grafの小坂さんも薪割りを体験。斧の重さにびっくり。

そうして薪割りを体験させてもらいました。TVなどでよく見る薪割りの映像ではパン、パンと斧を2、3回振り下ろすとパキーンと割れるイメージですが、実際はそうはいきません。何度か振り落としてやっと半分に。1本割るのに掛かる時間を考えると、大量の木を手で割っていたという前田さんのすごさがしみじみ分かります。フシが入っている木は割れにくいとか、前田さんは見ただけで木の質まで見分けていました。

前田さん「多分やりすぎると、昼ご飯にお箸を持つ手が震えますよ(笑)」

表面がピカッと光沢のあるのは、高温で焼き上げることで土が化学変化を起こすため。釉薬は一切使っていない。
表面のグリーンっぽいガラス質は「ビードロ」と呼ばれる伊賀焼に特有のもので、高温の窯の中で土が化学変化する現象でできたもの。
前田さん曰く、古伊賀の世界は『破調の調』(世阿弥)。正当な技巧によって裏打ちされた中に、ちょっとしたくずしが交わるからこそ、そこに『破調の美』としてのおもしろみが生まれるのだそうです。
前田さんの作品からは『寂の色感』が感じられます。華やかな色彩を抑え、柔らかさや落ち着き、味わいを深めた『破調の色』です。
レリーフにも力強さが漲りつつも、細部には繊細な趣向が施されている。
ある意味、無骨なたくましい味わいが伊賀焼の特徴。量産できないので、同じものは2つとない。

次に納屋を自ら改築したというギャラリーを見せてもらいました。水指や茶碗といった茶道具に限らず、普段使える手頃な価格のカップや器もあります。一方隣にある蔵のような土壁の建物は、伊賀焼らしい無骨なテイストの花器や器が少数だけ並び、扉を閉め切ってダウンライトで鑑賞できる空間になっており、様々な趣向が凝らされていました。ちなみにここで使われていた銅のような台は、造形作家の弟さんが作ったもの。一見すると錆びた銅の台のようですが、実はすごく軽い発砲スチロールのような素材。有名なテーマパークのアトラクションの装飾なども手掛けているそうです。また、華道家の片桐功敦さんとも以前から交流があり、片桐さんから個展の際に、巨大な土器の花器をお願いされたことがあるそうです。

堺の華道家の片桐功敦さんから依頼されて制作したという花器。木の枝で支えないと自立しなくて、縁も欠けた土器ですが、伊賀焼らしい無骨な味わいをとても気に入られたそうです。
古伊賀についての説明文。古伊賀が桃山時代に生まれた茶陶であることとその歴史が書かれている。
じっと見ればみる程、伊賀焼独自の荒々しい質感や味わいに惹き込まれていきます。

近くで見る前田さんが作陶した伊賀焼には、「これって釉薬じゃないの?」と思うような艶や、伊賀焼特有のビードロと呼ばれるグリーンっぽいガラス質が。これらは高温の窯の中で土が燃えた灰と化学変化を起こしてできる自然の現象。形がひずんだり、割れたりすることもあるけれど、唯一、伊賀焼だけはそういう形や割れのものも良しとされるんだそうです。

  • 納屋を改造して造られたギャラリー。土壁の風合いやダウンライトからの採光などの要素も鑑みた展示の工夫がされています。
  • ギャラリーに飾られていた作品の1つ。伊賀焼のテイストを活かすため、展示にも様々な工夫が凝らされています。
上の3つは、前田さんの弟さんが作った西洋の古いレンガ風の展示台。下の大きなものは、久住有生さんの工房の職人さんが淡路の土で作った台。
前田さんの工房。雑然とした中にも、きちんと整理されています。
工房の窓はこうして開け閉めできるようになっていました。これも前田さんの手造りだそうです。

前田さんのご実家はタマネギ農家でいらっしゃるそうで、小屋には収穫したタマネギのケースが積み上がられていました。さすが淡路島です。

前田さん「今の作家さんの中にはわざと薪をぶつけて形をひずませたり、ビロード風になる釉薬を使う人もいるけれど、たとえそれで見た目の迫力は増すとしても、僕の先生は安土桃山時代の価値観や理念にどうやって近付くかが課題だったんで、そういう不自然な作為はやりませんでした。私も先生と約束したので、そのやり方は続けていこうと思っています。お金ではなく、この作陶を続けているからこそ得られる人との出会いなどに価値を感じるんで。当時のお茶のあり方が今と全然違っていたことも、詳しく話すことで"古伊賀"について少しでも興味をもってもらって、日常のささやかな味付けになったらうれしいです。だからこういう活動はずっと続けていこうと思っています」。

鶴来窯

南あわじ市志知中島626
TEL/090-7110-6987(見学要予約)
10:00~20:00
不定休

次に前田さんも一緒に続いて向かったのは、洲本市の五色町の陶芸家、西村昌晃さんの[樂久登窯]。神戸出身の西村さんは、高校卒業後、丹波・立杭焼の清水俊彦氏のもとで6年間の修行の後、6年前に淡路で窯開きしました。この工房は西村さんのおばあさんが住んでいた家の納屋。今年の6月には同じ敷地内にあった築100年と築70年の古民家を改築して、カフェとギャラリーをオープンしました。お昼はそのカフェで頂きました。

「西村さん、こんにちは。今日はよろしくお願いします」

西村さん「ようこそ、淡路までお越しくださいまして、ありがとうございます。前田さんもこんにちは」

まずはギャラリーのスペースへ。ギャラリーは2つの部屋があって、1つは自然光が入る白い壁と床の空間で、もう一つは、黒い壁の古民家らしさを残した空間。白い部屋には、もともと立杭で作っていた民芸の器を中心に、水玉柄などかわいらしい感じのカップやお皿などが並んでいます。もう一方の黒い壁の部屋には、大きな壺や大皿など、作家らしい個性が感じられる渋めの焼きものが置かれていました。部屋の雰囲気だけでなく、置いてあるものも対照的です。

  • こちらは[樂久登窯]の工房。元々、西村さんのおばあさんが住んでいたお家の納屋を改装したそうです。
  • 左がカフェとギャラリーの建物。今年6月に、築100年と60年の古民家を改装してオープン。

自然光が入って明るい白壁のギャラリースペースには、かわいらしい模様のカップやお皿が並んで、雑貨屋さんのような雰囲気です。

デザインもかわいく、使い勝手も良さそうなカップやお皿たち。
もう一つの方のギャラリースペースは、古民家の趣を残しつつ薄暗い照明にもこだわった落ち着きのある空間。
大ぶりの壺など渋めの色彩の作品も。幅広い展示作品からは、西村さんの旺盛なチャレンジ精神が窺えます。

西村さん「丹波ではずっと民芸をやっていたんですが、独立してからは、ジャンルにこだわらずにいろんなモノを作っています。いろんなモノにチャレンジすることで、ますます焼きもののことが好きになりました。独立したての頃はいろんなものを作ってみて、それをどうやって皆さんに見てもらおうかと考えて、まずはギャラリーに持って行って相談しました。それを繰り返していると、お客さんが求めているものがだんだん分かってきて、ますます楽しくなっていきました」

「そもそもどうして陶芸を?」

西村さん「自分なりに一番楽しくくらせるのは何だろうって考えた時に、陶芸が思い浮かんで。自分なりにいろんな作品を作りながら、たまに個展で街の空気吸いに行くみたいな生活もいいなって思って」
立杭も師匠や大勢の方々に勧められて、周りの方々にお世話になりながら、自分なりの活動の仕方を模索されたそうです。何でもやる前は何も分からない。大勢の方々のお力を借りつつやってみて、自分なりにやりたいことを見つけていく。それが西村さんの考え方のようです。

そうしているうちに、ランチの準備ができ、カフェへ。厨房で腕をふるうのは、西村さんのお母さんとお姉さんです。この日のメニューは、ウオゼの煮付け鳴門産わかめ添え、アスパラの肉巻き、里芋などの煮物、かき揚げ、金時草のおひたし、サラダ、栗ごはん。できるだけ地のものを使った野菜たっぷりの豪華なメニュー。
ランチでも西村さんが作った様々な器が使われていて趣向が凝らされていました。お話しを聞きながら賑やかに食事をしつつ、栗ごはんやかき揚げのおかわりまで頂いて、満腹になったところで、今度は向かいの工房を見せてもらいました。

西村さん「まず造ったのがこの作業場です。あまりに長い期間空き家だったので、納屋の中まで竹藪になってたんです。天井まで竹が伸びて折れ曲がって下に降りてきていたぐらいで」

「竹の生命力ってすごい...。全部自分で片付けたんですか?」

西村さん「コンクリートだけは業者さんにやってもらいました」

「表にある変わった形の器はお客さんの注文ですか?」

西村さん「今度のイベントで使う器なんです。イタリアンのシェフや寿司職人など淡路在住の4人の料理人が、僕の器を使ってコース料理を作るというイベントです。

  • この日のランチメニュー。淡路島ならではの海の幸と新鮮な野菜がたっぷり入った盛り沢山なランチは1人1,500円。
  • 工房の作業場。ここでろくろを回して、作品を作っていらっしゃいます。

これがお寿司の皿でこれが割烹の八寸、こっちの丼鉢にフタをしたような器はイタリアンの肉料理」

「おもしろそうですね」

西村さん「食材も全て淡路のものでやるんです。1年前に言い始めて、最初はみんな出たとこ勝負でぶつかり合おうって言ってたんですが、さすがに何をしていいか分からないから打ち合わせは何度かやりました。器って料理を盛った時が一番分かりやすい。僕は料理はしないんですが、料理人の人が使ってくれたら一目瞭然でしょ。今回は赤字も覚悟してのイベントなんですが、一回やってみて楽しかったら、必ず次に繋がると思ってます」

「そういえばピザの窯もあるんですよね?」

西村さん「そう、おいしいんですよ、薪で焼くと。前田さんとも夏祭りに一緒に出店しましたよね。よく売れましたよね」

前田さん「そうそう、うちにもピザ窯あってピザパーティーはしょっちゅうやってる。夜中までピザ生地作って(笑)」

西村さん「淡路の陶芸家でピザを焼いている人は多いですよね」

  • 工房の裏に陶芸の土が5種類置いてありました。西村さんが使うのは淡路の土。作る作品によって土を使い分けているそうです。
  • これらはシェフや料理人の方々と一緒に企画したイベントで使う器。左の丼鉢にフタをしたようなのはイタリアンの肉料理を盛り付けるそうです。

この長方形の台のようなのはお寿司を盛り付ける皿だそうです。

歴史の勉強から陶芸の世界に入り、伝統的な"古伊賀"に頑なにこだわって作陶する前田さんと、いろんなことにチャレンジしつつ自分なりの創作を追い求めている西村さん。お2人は同じ淡路の陶芸家でも全く違うタイプの作家さんでした。きっとまだまだ個性的な作家さんがこの島にはいるに違いない、とみんなどこかで感じていました。

樂久登窯

洲本市五色町鳥飼浦2667-2
0799-34-1137
10:00~17:00
火&水曜休み
ランチ(1,500円)は前日までに要予約
http://rakutogama.com

前田さん(前列右)と西村さん(前列左)と一緒に。同じ淡路の陶芸家でも作陶方法も思想も全然違うお2人ですが、創作に対する情熱は相通じるモノがあるようです。

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