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  4. 第11回 大阪・谷町の[山本能楽堂]、能楽師の山本章弘さんを訪ねて
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grafが近畿2府4県を旅して考えるきれいなくらし

10.01.20

Chapter.1  6世紀半の歴史を通する能という伝統芸能の世界。

大阪の谷町四丁目、この連載では今までで最も近い大阪市内ということもあり、午後3時半に[山本能楽堂]に集合です。今回は初の伝統芸能とあってか、いつもとは違うどこか厳かな気持ちがありました。今回のメンバーも、山本さんからの依頼で扇子をデザインした横山さん以外は能を鑑賞した経験はなく、どんな体験をさせてもらえるのか、ドキドキしながらの訪問です。

[山本能楽堂]の外観。谷町四丁目の街中にあります。こんな街中に能楽堂があるなんて、ちょっとビックリ!

ここで少し[山本能楽堂]の歴史を。
もともと山本家は、京都で[伊勢屋]という名前で両替商を営んでおり、五大両替商の一つとして、日本の民主主義運動の草分けである板垣退助にも資金を提供していました。能の世界に魅了されたのは、山本章弘さんのおじい様にあたる先代の山本博之氏。大正5年(1915 年)、博之氏が20 歳の頃に二十四世観世宗家に入門し、昭和2年(1927 年)にこの[山本能楽堂]を創立しました。戦災で一度焼失しましたが、昭和25 年(1950 年)に能楽堂としては戦後最も早くに再建。「市街地にある木造3階建で、伝統的な能舞台を持つ能楽堂」として貴重なことから、平成18 年に国登録の有形文化財の指定を受けました。

2階の桟敷席から能舞台を見下ろして。屋根もきちんと造られていて、屋内にこんな舞台があるなんて驚きです。

「こんにちは。今日はよろしくお願いします」

山本さん「どうぞどうぞ。お上がり下さい。奥が能舞台です」
能楽堂とは、屋内に能舞台を持つ、能と狂言の専門劇場。外観からは全く想像も付かない、屋根のある立派な劇場が中にあります。
[山本能楽堂]もまた玄関は普通の家のようですが、案内されて進むと、突然ここだけ時代が変わったような立派な能舞台が現れます。

「うわー」

「かっこええなぁ」

山本さん「初めて来られる方は、必ず驚かれますね、この異空間に。舞台にも上がっていただきますので、まずは足袋を履いてください」

「やっぱり舞台の上は神聖な場所だからですか?」

山本さん「というよりも、使い手、つまり舞台に立つ我々のためなんですよ。ストッキングなどの化学繊維は通気性がいいので、足の脂が外に出てしまって舞台に脂が付く。そうすると舞台のすべりにムラができてしまって、演技に支障が生じる。能は足の裏の感触がものすごく過敏なんです。では舞台へどうぞ」

「能は周りの情景や登場人物の心情まで、全てを謡(うた)で説明する芸能です」とお話しする山本さん。

階段から舞台に上がります。でもこの「階段=階(きざはし)」は、演技には使いません。もともと舞台の開始を宣告する奉行がいた名残です。舞台と客席の間には玉砂利が敷かれていて、これもまた能舞台が屋外にあった時の名残。上がってみると客席の向こうに襖が見えます。

山本さん「その襖の奥に御簾の間があり、その向こうに将軍様がいたんです。御簾を開けてご覧になる儀式が『翁(おきな)』という神事。翁ではない普段は、将軍様は御簾の中からご覧になる。これは江戸時代になってからの最近の話です」

「江戸時代が"最近"ですか!」

舞台を乾燥させないために、1日に数回、こうしてお弟子さんが舞台の周りの玉砂利に水を撒きます。

山本さん「江戸時代なんて、能の650 年の歴史を考えると最近だと言えます。奈良・平安時代から庶民の間で親しまれてきた歌舞音曲と神様への奉納の舞が集大成されたのは、鎌倉時代後期から室町時代前期。日本史で覚えた記憶があると思いますが、観阿弥・世阿弥が創った能という新しい芸能は、将軍・足利義満や宮廷からバックアップされながら確立されました。以後現代まで7世紀近くの間、ほぼ当時のままの詞章で演じ続けられているのです。あのシェイクスピアが生まれる200 年も前に、すでに日本では能が舞台で演じられていたんです」

能舞台の背景に必ずある松が描かれた鏡板。実はこの松は、能のストーリーには全く関係がないそうです。

まずは能舞台について教えてもらいます。

山本さん「まず最初に目に入るのが、この松。これは『影向(ようごう)の松』を現しています。奈良の春日大社の影向の松です。ここに仮宮を作り、神様をお招きして芸能をご覧いただくわけです。日本では常磐木、つまり常緑樹に神が宿るとされているので、ここに松の絵が描いてあります。しかしそうなると、我々はこの松にお尻を向けていることになるので、この板のことを『鏡板(かがみいた)』と言います。本来あるものを、ここに映し出しているんです」

「どの能舞台にもこの松はあるんですね」

山本さん「そうです。そして実は、このバックボードは能のストーリー自体には全く関係ありません。だからこの松をじーっと見て作品を理解しようとすると、睡魔が来る(笑)」

そして鏡板に向かって右側にも羽目板があり、こちらには竹が描かれていることが多い。これは老松に対して若竹とされ、老いも若きも一緒にやっている、という説もあるんだとか。

山本さん「さて、松、竹とくれば...」

「松竹梅、梅ですね」

山本さん「では舞台の中の梅を探して下さい」

みんな舞台を見回して梅らしき物を探してみますが、見当たらず...。

山本さん「みなさん落第です。私が梅です」

「あーなるほど!」

山本さん「舞台にいる人が梅。『あの人の芸には華がある』とか言うでしょう」

この『華』については、かの世阿弥が書いた今で言う芸能レシピ本のような『風姿花伝』や『花鏡(かきょう)』といった能楽論書にもたくさん使われています。

この畳一畳分の櫓で、家や寝間など、様々な空間を表現しています。

山本さん「花って、冬に花見をしようと思っても無理だし、去年と同じ日に満開になる訳もないし、剪定する人がいたら良くなるでしょ。能の書に花がよく出てきたり、能が花に例えられるのは、そういう見る側もやる側(役者=花)も一歳ずつ樹齢が増えていくところから。その辺も面白い。映画や絵画であれば、例えば若い時に観たものを、年を重ねてからまた観ると、また違った感性で観られる。でも我々の芸能の場合は、こっちも年をとるから良くなっているのもあるし、新しい芽が出て来ることもある。毎回一緒ではないんですよ」

また、能舞台の不思議なところは、他の芸能の一般的な舞台は大体、板が横敷きだけど、能舞台では縦。その理由は、板に沿って前に後ろに表現しているから。

山本さん「『能ではバックボードが何もストーリーと関係がない』と先ほど言いましたが、同じ古典でも歌舞伎や文楽は作品によって背景が変わります。では能は何で表現しているかというと全部、謡(うた)なんです。だから、『おーのずからーはるのーけしきとなりーにーけりー。じーしゅうーごうげんのーはーなーざーかりー...』と自分が見えているパノラマを全部自分で謡うんです」

全身を使って、能の表現についてご説明してくれた山本章弘さん。言葉以上に、身体表現の饒舌さに畏敬の念を抱きます。

「はー!」

実はこの時、初めて聞く、山本さんの謡にみんな驚いていました。しゃべっている時とは全然違うお腹の底から出される迫力ある声は圧巻!

例えば能の代表作『羽衣』で、漁師が三保の松原で松の枝に掛かった衣を発見する場面。テレビならば富士山が写って風が吹き、不思議な音楽が流れて...という映像が流れるだろうけど、能の場合は、漁師が自分で見えたこと匂ったこと、思ったことを全部謡います。

山本さん「このように、自分で見たり感じたりしたことを自ら謡い演じることは、他の芸能の表現にはありえません。だから西洋の演劇、特にパントマイムの人達はすごく能に興味を持ってくれて、昭和30~40 年代には、マルセル・マルソー(『パントマイムの神様』と称されるパントマイムの第一人者)などのパントマイマーと能楽師は非常に交流があったんですよ。能の創られ方がパントマイムに通じるものがあると言われています」

また、謡の内容だけではなく、声のトーンやテンポもポイント。

山本さん「雪が深々と降る場面。役者は出囃子もなくすり足で出て来てシーンとしたところで、(低い声でゆっくりと)『あーーー、ふったるゆきかなー』と言います。この場合は嘆きです。最初の言葉を長く引っ張ることによって、豪雪であると共に、人間の気持ちまで声のトーンから想像してもらうんです」

他にも、能のストーリーには事件が起こらないとか、題材の登場人物の死後の話が多いとか、能では男女の恋慕やセクシャルの部分は出したくないので、わざと舞台上ではどちらかを極端に若い役者が演じるとか...。そんなトリビア的な決まり事が能にはたくさんあります。『船弁慶』では、静御前と恋仲の義経を子役にすることが多いそう。
これはもちろん静御前が年下好きというわけではなく、能の話の中では男女の愛情は重要ではないからなんです。

能舞台の下にはいくつもの大きな陶器の器が置かれています。舞台の足音を共鳴させるためという説もあるが、詳しくは分からないそうです。

山本さん「能の作品の中で、基本的に一番大事なのは音。明治維新以降、日本人の音感の基本は西洋音楽ですが、邦楽が西洋音楽と違うところは絶対音感が無いところ。すなわち音合わせをしない。公演前に1回本番のとおり、通しでやりますが、やらない時もあります。これはリハーサルと言わず、『申し合わせ』と言います」

「それで大丈夫なんですか?」

山本さん「鼓が『ポンッ』ではなく『ペンッ』だったり、笛が『ヒョー』ではなく『スー』としか鳴らない時もあります(笑)。それは客入りやエアコンなどの状態で変化して、湿気や乾燥状態もその時にならないと分からないので、実際にやりながら調整します。謡に対して伴奏もしないし、絶対に出さないといけない音など能にはありませんから」

「すごい、これぞ究極のライブやなぁ!」

「毎回違っても、間違いや失敗ではないんですね」

山本さん「そうです。逆にそれが、能の醍醐味と言えるんじゃないでしょうか」

能の舞台裏を案内してもらって。

続いて普段は見られない、舞台裏を案内して頂きました。
まずは、演者の出入りに際して2人の後見が竹竿を上げ下げする揚幕。

山本さん「この幕を開ける人に、毎回主人公のシテ役が開けてくれと言うんです。幕に"お"を付けて『おまーく』と言います。これが合図です」

『おまーく』の掛け声で竹竿で揚幕を上げて、演者が舞台へと出ていきます。素早く出て行く時は掛け声も早く、ゆっくりの時はゆっくりと。

『おまーく』とシテ方が言えば、バサッと幕を上げるのですが、面白いのがその言い方。ここでもトーンとテンポが鍵になってきます。

山本さん「曲によって出て行き方も違います。すごく厳かな場面では(低い声でゆっくりと)『おまーーーく』」

すると、幕はほとんど音を立てずにゆっくりと上がります。
逆に激しい場面の時は、(早口で)『おまーくっ』と言うと、バサッと瞬間で開きます。

山本さん「この幕の開け方の案配を気にする人は、揚幕の近くに席を取るんです」

「それ、めちゃマニアックですね(笑)」

揚幕の奥の部屋は、鏡の間。大きな鏡が置かれており、ここで鏡を見ながら能面を掛けて変身して気持ちを整えます。鏡の間から鏡板へ、つまり鏡から鏡への移動と言われています。

山本さん「どこの能の楽屋にも、季節を問わず必ずこの火鉢があります。さて、何のためにあるでしょう?」

「お湯を沸かすため?」
「お茶を点てるため?」

山本さんが手を指す火鉢で、公演の1時間前ぐらいから大鼓の革を乾燥させる。

山本さん「残念。鼓を乾燥させるためなんです。乾燥させるのは、小鼓ではなく大鼓の方です。これは馬の尻の革でできているんですけど、カラカラに乾燥させないといい音が鳴らないので、毎回、公演の1時間ぐらい前から火で炙ります。こうやって乾燥させて締めてを繰り返すと、だいたい10 回ぐらいで破れるか寿命が来て使えなくなります」

「寿命が短いですね。分厚くて丈夫そうなのに」
「消耗品ですね」

山本さん「そうなんです。これ1セットで10 万円ぐらい。一方、小鼓の方は10年ぐらい打ち続けてやっと良い音が出るようになるんです。それから本番で使えるようになって、こちらは50 年から80 年ぐらい使えます。片や10 回ぐらいの消耗品、片や10 年後からエエ音、という2つの鼓が同じ舞台にいる訳です。まさに老松と若竹」

馬のお尻の皮を貼った大鼓の革(膜)。直径約23cmで、硬質の音色が出る。10回も使うともう寿命に。

「何だか不思議ですね。そんな両極端な鼓が一緒に奏でられているなんて」
「でも絶対、両方ともその素材しかダメなんですよね? 僕はバンドでパーカッションをやってるんですが、最近は革ではなく新しい素材がどんどん出て来てます」

山本さん「確かに、最近はグラスファイバーのものでお稽古する人もいますね。でもやっぱり本番はこれじゃないとダメです」

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